悪口を言い合う会!?
もう何年も前のことですが、SNSで「誰かの悪口を言い合う会」のイベントを主催している人がいました。
タイムラインでそのイベントの情報が流れてきたとき、本当に目を疑いました。
「誰かの悪口を言い合って盛り上がろう」となっているのです。
10代の子がそんなことを言っているのではありません。
そのイベントを主催しようとしている人は50代くらいの女性です。
もう立派な大人です。
さらに、そのSNSでのコメントで「いいねー!楽しそう」とコメントを入れている人もいるのです。
よほどフラストレーションが溜まっているのでしょうか。
誰か特定の人を悪口の対象にあげて、複数の人たちで特定の人の悪口を言い合う。
そして笑ったり、さげすんだり、人間性を否定したりして時間を過ごしていくのでしょう。
そうして一緒になって悪口を言い合った人たちで、仲間意識または「つながり」感を感じでいるのでしょう。
どうして悪口を言うのか?
その根本的な原因は、自己肯定感の低さにあります。
誰かを落とさないと・・・
自己肯定感が低いとは、どういうことでしたか?
自己肯定感の自己否定感とは、シーソーの関係でしたね。
つまり、自己肯定感が低ければ、自己否定感が高くなるのでした。
自己肯定感が低い人(自己否定感の高い人)は、自分を否定する感覚が強い特徴があります。
自分自身を否定している。その一部の人は、自分自身が成長しようとは考えません。
だけれど、自己否定が強いので、自分が誰かより劣っている感覚が強いので、それだけでも、やりきれない思いなのです。
自分が上がろうとしない。でも、自己否定していてやりきれない思いがある。
じゃあどうするのか?
誰かを落とそうとするのです。
誰かを落としたら、「私はまだあの子よりマシ」となる論理ですね。
こうして、誰かの悪口を言ったり、誰かを差別したりするようになるのです。
なぜ、このように悪口が絶えないのか。人々は他人のちょっとした功績でも認めると、自分の品位が下がるように思っている。
ゲーテ
あなたの方向性はどちらに向いている?
悪口を言う人で、自己肯定感の高い人はいません。
悪口を言う人は、自己肯定感の低い人の特徴です。
「えっ!私は時々、悪口を言うけれど、それは悪口を言われる人に問題があって、私には問題がありません。私は自己肯定感が高いです。」
こんなことを言われる人もいるでしょう。
しかし、重要なことなのでもう一度言いますね。
悪口を言う人で、自己肯定感の高い人はいません。
どんなにお金持ちでも、芸能人の大御所であろうと、悪口を言う人は自己肯定感が低いです。
それが原理原則です。
自己肯定感の低い人は悪口を必要とし、自己肯定感の高い人は悪口を不必要と考えています。
自己肯定感の低い人は悪口はストレスの発散だと考え、自己肯定感の高い人は悪口はストレスの原因だと考えています。
自己肯定感の低い人は悪口が身近にありますが、自己肯定感の高い人は悪口と距離を置いています。
「私は悪口を言わないが、友達の悪口は聞いてあげてる。私は聞くだけです。」と思っている人もいます。
だけれども、悪口を聞いてあげているだけでも、自己肯定感の低い人の特徴なんです。
なぜなら、悪口を聞く人がいなければ、悪口を言う人は悪口を言えないからです。
一緒になって悪口を言う環境を作り上げているのです。
自己肯定感の高い人は、悪口を嫌い、悪口と距離を置いています。
あなたがもし今まさに悪口を聞いているとします。
その悪口を言う人は、こういう表情で、こんな言葉づかいで、こんな声量で、こんな所を責めているんだ〜と、まさに目にするはずです。
そんな人、信用できますか?
きっと、同じ表情で、同じ言葉づかいで、同じ声量で、今度は私のいない所で誰かと、私の悪口も言うんだろうなと容易に想像できると思います。
悪口を嫌いになり、離れるのです。
そして、人の良いところを褒める習慣をつけるのです。
人の良いところを褒める習慣を2週間続けたら、引き続き人の良い所を見つけながら、今度は自分の良いところを褒める習慣をつけるのです。
あなたは、人の「悪口」を見つめる人生をおくるのか、人や自分の良いところを見つめる人生とどちらを選びますか?
選んだ瞬間に、ベクトルの向きは一瞬で行きたい方向を指してくれます。
今回の記事の悪口への考え方を身に着けて、まず私自身が悪口を言わない、悪口を嫌いになり、悪口と距離をおくように心がけてください。
そして、人の良いところ、自分の良いところを声に出してほめてください。
そうすれば、あなたの自己肯定感はさらに高まりはじめます。
悪口は意地の悪い人の慰めである。
ジューベル
人の悪口を見つめる人生か、人の良いところや自分の良いところを見つめる人生のどちらかを選ぶ。