「常識」と「普通」
- 「常識的に考えてその考えはおかしい。」
- 「普通そんな考え方しないよね。」
- 「普通に分かるでしょ?それくらい。」
- 「俺が言ったこと、普通の人だったら分かるよ。」
- 「そんなことも出来ないのって、あなたは相当常識がないですね。」
このような表現で使われることがある「常識」や「普通」って誰が考えたのでしょうか?
ひと昔まえなら
- 「男の人が家事をして、女の人が働くなんて非常識。」
- 「男の人が台所に入るなんて非常識。」
なんてものもありました。
今では考えられないような発言ですよね。
これらのような発言が人の自己肯定感を下げ、ストレスを増幅し、可能性や強みを隠し、その人らしさを奪ってしまうのです。
まるで知らない間に牢屋に閉じ込められているように。
あなたは誰の価値観で生きていますか?
「常識」や「普通」という表現は、その発言者の価値観を示しています。
「みんな言っている」という前提があり、みんなと違うあなたは「おかしい」という意図があります。
でも分かってもらいたいのは、それはあくまでも発言者の価値観なんです。
たとえば、今の子供たちに「大人になってから何になりたい?」と聞くと
公務員、社長、ミュージシャン、花屋さん、医者、アイドル、YouTuberなどがあげられます。
では、80年前の1939年に子供たちに何になりたいかを聞くと何と答えると思いますか?
おそらく陸軍将校や海軍将校になりたいと思う子供が多かったんじゃないかなと思います。
その当時の世間の価値観なら、立派なことで誇らしいことだと思います。
現在でも、将校になりたいという子供はもちろんいますが、80年前に比べて圧倒的に少なくなりましたよね。
断っておきますが、現在の自衛隊の方も立派です。そんなことは断って書く必要はないと思いますが、念のために書いておきます。
ただここで言いたいことは、時代とともに価値観は大きく変わるということ。そんなものなんです。
「こんなこと常識でしょ?」と言ってる人も、それは常識ではなくなる時代がくることもあるということです。
あなたに知ってもらいたい大切なポイントは、他人や世間の「常識」や「普通」よりも、自分の価値観の方が大切だということなんです。
他人や世間の価値観で、自分の人生を生きていると自己肯定感は低くなります。
自分の価値観で、自分の人生を生きていると自己肯定感は高まります。
常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである。
アルベルト・アインシュタイン
この記事を読まれたあなたは、上の例のような「常識」や「普通」という表現を聞くと、ひょっとしてこれは、かたよった見かた(偏見)ではないのかな?と思えるようになったかもしれません。
常識を疑うとは、そういう意味でもあります。
その「常識」や「普通」は発言者の価値観が反映されています。
この記事の内容の話をコーチングですると、クライアントから「楽になりました」「なんだか軽くなれた気がします」という声を頂いています。
もし、これを読んでいるあなたの心が少しでも軽くなったなら、ブログを投稿する者として最高の喜びでございます。
「常識」や「普通」の表現を真に受けずに、それは発言者の価値観だということを理解する。
価値観に「絶対」はない。変わる柔軟性がある方が価値観は良い。
他人や世間の価値観で自分の人生を生きるのではなく、自分の価値観で自分の人生を生きる。