かんじんなことは目に見えない

世の中には目に見えるものと、目に見えないもの・見えにくいものがあります。
たとえば、目に見えるものだと
- お金
- 車
- 家やマンション
- 体型
- 商品
- 筋肉
などです。
目に見えない・見えにくいものだと
- 心
- 感覚
- 霊
- 原理原則
- 気功
- 自己肯定感
などです。
目に見えない・見えにくいものを疑ったり、低い価値をつける人もいます。
たとえば、「気功なんて信じません。」と言う人もいますし、疑いの目で見る人もいるでしょう。
しかし、実際に気功は存在します。
私は、クラヴマガというイスラエル軍の戦闘術を8年ちかくやっていますが、その他にボクシング、ブラジリアン柔術もやっています。
クラヴマガだけではなく、気に入ったものを取り入れて、自分を磨いていくトレーニングをしています。
以前に太気拳という武術を、有名な先生(達人)に習ったことがあります。
太気拳は、感覚を研ぎ澄まし「気」を使います。
達人が私の腕に触れた途端、心地良いビリビリ感が伝わってきました。
こんな話をして、「またまた〜、そんなことある訳がないじゃないですか?」って言う人もいると思います。
しかし、そう考えてしまうのは、その人に受け入れる力(受容する力)が備わっていないのです。
自分の目で見えるものは信じて、目に見えないもの・見えにくいものは信じない。
こういう大人が結構、多いなと思います。
受容する力と反応的なサングラス
目に見えないものしか信じない人もいれば、目に見えないもの・見えにくいものを大切にする人もいます。
ビジネスやマーケティングやブランディング、心理学や成功哲学や脳神経科学における超一流の人たちは、目に見えないの・見えにくいものに大きな価値をつけています。
彼らは目に見えないものをバカにしないどころか、それこそ成功する秘訣だといいます。
目に見えないもの・見えにくいものを理解できない人たちは、「反応的なサングラス」をかけています。
たとえば、「思いやり」 という光を遮(さえぎ)ってしまっているのです。
だから人の思いやりを感謝するどころか、人から受けている思いやりに気づいてすらいないのです。
それなのに、「自分は誰からも愛されていない」と言うのです。
そして恐ろしいことに、自分自身、反応的なサングラスをつけていることすら自覚がないのです。
考えるな、感じろ。
ブルース・リー
目に見えないもの・見えにくいものを疑ったり、信じられない人は
- そもそも受容する力がない
- 反応的なサングラスをかけている
「ボランティアなんて偽善だ。」という人は、受け入れる力を持っていないのか、光をさえぎる反応的なサングラスをかけているのです。
「幽霊なんて言っている人を疑う。」とバカにしている人もそうです。
幽霊がいるかどうかより、それを話している人の人間性を見ればいいのです。
この人は嘘はつかない、誠実な人だと思えば、幽霊がいるかどうかより、「そんなことがあったんだな」と客観的に受け入れることができます。
お金や不動産や車を信じて、ミッションや原理原則を信じない人がいます。
彼ら彼女らは仮に経済的に豊かになれたとしても、精神的に貧しくなってしまいます。
なぜなら、思いやり、ミッション、原理原則、愛、主体性、自己肯定感が「精神的豊かさ」を築き上げるからです。
私が知っている人で、「ボランティアなんて偽善や。」と言っている人がいます。
彼ら彼女らは、本気でそう思っています。
決して受容する力が欠けていることなんて想像できないでしょう。
反応的なサングラスをかけていることも自覚がないでしょう。
光を受け入れることもできなければ、光を遮断してしまっているのです。
白黒の世界とまではいかなくても、光の少ない世界で生きているかもしれません。
そうしてお金や不動産など、目に見えるものだけが光り輝いて見えるのでしょう。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。
かんじんなことは目に見えないんだ。
サン=テグジュペリ(星の王子さま)
あなたが創りだしている世界はどんな彩りでしょうか?
目に見えないもの・見えにくいものの大切さを知る。
ひょっとして自分は反応的なサングラスをかけているかもしれないと疑ってみる。