名著
「夜と霧」という本があります。
本の著者は、ヴィクトール・フランクルです。
彼はユダヤ人精神科医で、戦時中、ナチスドイツにより強制収容所に入れられていました。
この「夜と霧」という本は、彼が強制収容所で見たもの、体験したものなどを精神科医の立場で書かれています。
私は「主体性」の説明でこの本の内容をシェアしたりしています。
今回の記事で、ブログ読者の「主体性」についての理解に深まれば嬉しいです。
ユダヤ人強制収容所
実は、ユダヤ人の強制収容所について知らない人は結構います。
ナチスという政党は、国民を1つにまとめるのに、ある標的を「共通の敵」に仕立て上げます。
その標的にされたのがユダヤ人です。
ユダヤ人は社会的成功者が多く、自分たちが不景気で貧しいのはユダヤ人のせいだと、国をあげて差別や迫害をするようになりました。
なんとまあ自己肯定感の低い人たちでしょうか・・・。
当時、ゲットーと呼ばれる収容所はいくつもありました。
その中でもアウシュビッツは有名ですね。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制絶滅収容所は、世界遺産になっています。
負の世界遺産ですね。
どこの国にあるのかご存知ですか?
ドイツではありません。
ドイツの隣国のポーランドにあります。
そして、アウシュビッツに一番多く訪れているのはドイツ人だそうです。
では、強制収容所ではどんなことが実際に起きていたのか。
詳しく知りたい人は、「夜と霧」の本もいいですし、「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」の映画で観るのもオススメします。
夜と霧
強制収容所の中は、人間が生きていくのに、とても劣悪な環境で、人権もなく、自由もありません。
たとえば、トイレにも自由に行けなかったので、服を着たまま糞尿は垂れ流し状態です。
そこらじゅうに糞尿があって、不衛生で、発疹(ほっしん)チフスなどの伝染病がまん延し、多くの人たちが死んでいきました。
寝る前は体と髪の毛についたシラミを1時間くらいとって寝るそうです。
そうでないと、とてもかゆくて、眠れなかったみたいです。
栄養失調、寒さ、苦痛、飢えに加えて、ナチス兵やカポー(ユダヤ人警察)からの暴力、罵倒、殺人などが日常的にあり、収容者は感情を失っていったそうです。
ヴィクトール・フランクルは暴力や暴言よりも、ナチス兵から「人間として見ていない」目をされたときのショックを語っています。
自分の家族や友達や仲間たちが殺されていくなか、 毎日たくさんの人たちが死んでいき、衰えていきます。
絶望。
まさに、光のない絶望です。
そんな光のない絶望の中で、ヴィクトール・フランクルはとても大きな気づきを得ました。
それは、奥さんとの会話です。
奥さんも別の収容所に入れられ、まだ生きているかどうかも分からないけれど、空想で奥さんを呼び寄せて、会話をするのです。
たとえ、ナチス兵に殴られても、その時は痛みはあるけれど、後からすぐに奥さんを呼び寄せてまた会話を始めていたのだそうです。
それが、ヴィクトール・フランクルの心のより所になりました。
「妻はここにいる」と。
主体性
ヴィクトール・フランクルは言っています。
強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心を奮い立たせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう。
内面の自由と独自の価値をそなえた精神的な存在であるという自覚などは論外だ。
人は自分を群衆のごく一部としか受け止めず、「わたし」という存在は群れの存在のレベルにまで落ち込む。
収容者は、積極的に自尊心を奮い立たせたり、心のより所にいることによって、自分を失わないようにしていたのですね。
しかし、ほとんどの収容者は、まるで羊の群れのように、主体性を持たずに言われるがままに死んでいったみたいです。
こんな話もあります。
強制収容所で亡くなった若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。
「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、私はすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした。」
その彼女が、最後の数日、内面性をどんどん深めていったそうです。
なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える
フリードリヒ・ニーチェ
強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず未来に目的を持たなければならなかったとヴィクトール・フランクルは言っています。
そして、心に突き刺さる言葉が続きます。
生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。
そのような人々は、よりどころを一切失って、あっという間に崩れていった。
あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。
「生きていることにもうなんにも期待がもてない」
こんな言葉にたいして、いったいどう応えたらいいのだろう。
脆弱な人間とは、内面なより所をもたない人間だ。
ヴィクトール・フランクル
何を考えるのか?
苦痛、空腹、不安、恐怖、死後の世界、宗教、哲学、目標、夢など
状況や環境に反応的になるか、自分の目標やより所を主体的に考えるのか。
ヴィクトール・フランクルは奥さんとの会話を選んだのです。
そして、強制収容所から出たときの未来を見ていました。
人生に意味を見出している人間は、苦しみにも耐えることができる。
ヴィクトール・フランクル
長かったですけれど、ここまで読んでいただいて、ありがとうございます!
単語数が3000を越しています。
この記事は、私の中でとても大切な記事になりました。
自己肯定感と主体性、どちらも本当に大切なものです。
あなたのプラスになれる記事でありますように。
そうなればとても嬉しいです。
主体性を持つ。
このブログ記事を何度も読む。
人生に意味を見出す。難しければ、やりたいこと、なりたいことを考えてみる。
より所を見つける。
内面性をどんどん深めていく。