人の悪口(陰口)を言う人たち
あなたの周りで人の悪口を言う人はいますか?
「悪口は聞きたくないけれどよく耳に入ります」と言われる人もいるかもしれません。
あまり嬉しいことではないですよね。
私のまわりで悪口を言う人はいません。
なぜなのか。
それは、私が悪口を言わないということもありますが、悪口を言う人は近づきにくくしているからです。
それは、どういうことだと言うと「私は悪口を言わないし、悪口なんて聞きたくもない。」という姿勢だからです。
悪口の好きな人は、「悪口」と「悪口を言う人」を引き寄せます。
悪口の好きな人の世界はより悪口にフォーカスされます。
私が「悪口を言う人は近くにいない」ということで、私の所ではなく、違う所で悪口を言うようになります。
結果、私のまわりで悪口を言う人はいなくなるのです。
悪口(陰口)と自己肯定感の関係
以前、SNSで「悪口を言う飲み会をしましょう」と投稿している人がいました。
子供や学生が書いているのではないです。大人が書いているのです。
それに別の人が「いいですねー、楽しそう!」というようなコメントまで残しています。
おそらく、この人たちは悪口を言うことがストレス発散だと思っているのでしょうね。
違います。悪口はストレスを発散させるものではなく、逆にストレスをため込むものなのです。
そして、悪口を通して共通の敵をつくり、共通の敵をたたくことによって一体感や仲間になった感覚を得ているのです。
誰かを標的にして、みんなで悪口を言うことで一体感や仲間になった感覚を得ているのなら、その一体感は表面的なもので、本当の一体感ではありません。
そして仲間ではなく、仲間だと思っている人たちがお互いに「自分のいない所で私の悪口を言っているんじゃないか?」と疑心暗鬼になるのです。
そんなの本当の仲間でしょうか?
自分の悪口を言われたくないので、いつもあの子を標的にする。
みんなを誰かの標的に注目させることで、その標的しか目に入らないようにする。
そうして自分の悪口を言われないようにする。
そんな人、信頼できますか?
悪口を言っている人は大きな過ちを犯しています。
人の悪口を言っている姿を、誰かは見て聞いているのです。
悪口を言っている人を想像してみてください。
「あー、この人はこんなふうに、こんな表情で、こんな言い方で悪口を言うのだな。」
「きっと、私の悪口もこんなふうに言うんだな。」
と容易に悪口を言っている人の想像ができます。
そんな人、信頼できますか?
悪口を言う人は、自己肯定感が低いです。
悪口を好きな人も
悪口でストレスが発散できると思っている人も
悪口を言われてるのではないかと疑心暗鬼になっている人も
私は友達の悪口を聞いてあげてるだけだと思っている人も
みんな低い自己肯定感で生きています。
悪口を言わなくなり、悪口を嫌いになれば、悪口を言っている人と距離を置きたくなります。
なぜならば、悪口が好きな人と、悪口が嫌いな人とでは波長が異なるからです。
悪口は意地の悪い人の慰めである。
ジョセフ・ジョーベル
なぜ、このように悪口が絶えないのか?
人々は他人のちょっとした功績を認めると、自分の品位が下がるように思っている。
ゲーテ
自己肯定感の観点からして、「悪口、陰口」は自分の心を蝕(むしば)んでいく悪いものだと認識してください。
決して、ストレス発散になんてなりません。
心を蝕んでいく悪口(陰口)を嫌いになり、距離をおけるようになると、あなたは変革します。
つまり、次のステージに入ったということです。
嘘で固めた自分で愛されるよりも、本当の自分で嫌われた方が気持ちがいいではないか。
アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド
悪口(陰口)を嫌う。
悪口と距離をおく。
悪口を嫌い、悪口と距離をおいている人達と付き合う。